親の介護を満足にできていない…というモヤモヤ


天気がいい日に、時々母親の散歩に付き合うことがあります。

散歩、というか、終日ベッドで横になっていることが多い母の足の機能が落ちないように“歩かせてる”といった方が正しいかもしれません。

先日も実家の周りをゆ~っくり歩いていたら近所の方が立ち話しをしていました。私は知らない方ですが、母は「久しぶり~」と声をかけ、昨年入院してからの経緯をひとしきり話しました。

あれこれ雑談するうちに、「そういえば○○さんの奥さんも最近は具合が悪いみたいで全然見なくなっちゃったね~」と近所の知り合いの話しになりました。

「でもあそこの娘さんは毎日通ってきて面倒見てるよ、偉いね~。○○さんは幸せだわ」

この言葉、別に私に対して言われた訳じゃないし、私とその○○さんの娘さんとを比較された訳でもないのですが…仕事が忙しくて平日は母のことを全て父親に任せきりにして “悪いな。もう少し平日の朝とか顔出すようにした方がいいかな”と考えていた私にはちょっとショックというか、気持ちが落ち込む言葉でした。

別にその方が私を責めている訳でもないのに、自分に対して、“ふ~ん、そうなんだ。やっぱり近所の人から見ると毎日通ってくる娘は偉く思えるよね。そりゃ私だって自分の親の面倒をちゃんと見たいと思うけどさ。でも、そんな時間ないよ。時間ないとか言ってないで作ればいいのかもしれないけど、それじゃ自分の体力が持たないよ”なんて、モヤモヤと考えてしまいました。

以前のブログで、「仕事は絶対に辞めてはいけない」と書いたのですが、自分で書いておきながら、“今は仕事より母のそばにもっといてあげることの方が大事なのかな?”なんて思ったりもして。

多分、介護をしている多くの人が、こういう感情にぶち当たることがあるんだと思います。そして、家庭内や職場の状況だけでなく、“近所の人の目や言葉”というものも、仕事を辞めて自分が介護に専念するべきなんだ、と思わせる一因になっているんだろうな、と今回思いました。

結局、モヤモヤはしたものの、私は自営業だからこそ仕事を続けていかなくてはいけないのだ、ということで、頼れる間は父親の力に頼っておこう、ということにしたのですが。いつ終わりがくるのか分からない介護。無理をせず、細く長く続けても息が切れないように…と考えています。

(文・渡辺)